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防災コラム「透明なお守り」Vol.1
身近な日常の気になるコト・ヒト・モノをテーマに綴るスタッフブログより、新連載コラムがスタートします!
KURAWANKAでは、地域に根差したショップとして、商品やサービスの提供だけではなく、安心して暮らせる社会をみなさまに提案できるような、社会的役割を担っていきたいと考えております。
そこで2023年の新連載は『防災』について様々な視点から真っ直ぐにお伝えする長編コラムを毎月お届けすることにしました。自助・共助の重要性が高まっている近年、このコラムが、地域・家庭での防災の取り組みのヒントとなり、人と人の繋がりの輪を生み、より良い未来へ繋がる大切な情報になると信じています。
いつものスタッフブログとは少し違って防災コラムは毎号長編でお届けいたします。
1ヶ月かけて少しづつ読み進めめるもよしです!ぜひ最後まで読んでくださいね!
筆者 プロフィール
石元 彩
西宮市の短大卒業時に阪神淡路大震災を経験し学生生活を突然打ち切られたまま社会人となる。
その後、1.17の震災を機に誕生したラジオ局「FMひらかた」に開局から閉局まで25年間携わり、後半11年間は東日本大震災の復興支援や情報を毎週発信するほか、常に社会に埋もれそうな小さな声やマイノリティの存在にスポットを当て、心に寄り添う言葉にこだわり番組を制作。ギャラクシー賞選奨2作品、奨励賞1作品受賞。
このコラムでは、これまで得た経験・知識・人脈、マスメディアの世界だからこそ触れられたもの全てを活かしながら、防災や災害、被災地の現状や被災者の声、さらには、その先に繋がる”生きるヒント”にもなり得るものを”見えないお守り”と称してさまざまな視点からお伝えできればと思います。
目次
プロローグ
今年もあと2日で「あの日」が訪れます。
あの日、あの時刻を・・・今、いったいどれだけの人が正確に言えるのでしょうか?
「1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災発生」
あの日を知らない世代・・・
少し前、「防災とメディア」 をテーマにした大学の授業を見学する機会がありました。
この日はテレビ報道関係者がゲストスピーカーとして登壇し、神戸の震災当時の映像を用いて講義を進めていたのですが、その冒頭で驚いたこと。
それは 「1.17 に起きたのは何という地震?」という質問に、ほとんどの学生が答えられなかったという事実です。
これは、枚方市内の大学の授業の一場面。すなわち、多くが関西出身者で埋めつくされた教室にも関わらず「1月17日に大きな震災が起きた」という認識こそしていても、それ以上のことは知らないのです。
たしかに、災害発生からまもなく28年を迎える神戸の地震は、20歳前後の学生にとっては生まれる前のこと。授業で学ぶ「歴史上の災害」です。
現代を生きる日本人のほとんどが、「戦争」を「史実」としてしか理解することしかできないように、今、阪神淡路大震災でも同じことが起きていることを改めて痛感する出来事でした。
戦争、事件、事故、そして・・・災害
「風化させてはいけない」と言われる類のものは、人の人生や世情を大きく揺るがし、私たちの生活を一変させてしまいます。そして、それは必ず大きな悲しみや苦しみを携えやってきて、人の心に決して消えることのない大きな傷痕を残すものです。
そんな一生消えない傷を二度と負うことが無いように、私たちは現実に起きた事実を何度も繰り返し検証し、データや体験者の証言をもとに、考えられる限りの回避方法や対策を講じ、当時のことを後世へと伝えてきました。
「風化」させぬようよう「語り継ぐ」 こと、「遺構」や「伝承館」「手記」という、目に見える形で 「保存」し 「遺す」 ことで、次の世代へバトンを託す。
戦争や事故は人が起こすものだから、人間の力で止められる。
自然災害は自然が起こすものだから、人間の力では止められない。
災害を語る上で、それ以外の「風化させてはいけない」ものと比べた時、これが唯一であり最大の違いです。
自然災害は避けられない、いつ発生するのか、どこで発生するのか、どれだけの規模で発生するのか、誰にも分からない。
だからこそ大切な「防災」
防災は「災いを止める」ものではなく、文字通り「災いを防ぐ」もの。
私たちが、災害時に命や生活を守るためにしている行動は、「災いによる被害を減らす」すなわち、「減災」に希望を託し、防災行動をとっていると言っても過言ではありません。
透明なお守りとは
過去の災害を正しく知り、次の災害へ備えることで守られる命・生活・未来・・・
防災・減災には、2つの袋が必要だと思います。
1つ目は、災害避難グッズを詰め込んだ【防災袋】
2つ目は、防災・災害知識を詰め込んだ【透明なお守り袋】
「透明なお守り袋」とは、知識や体験など目に見えないものや、心の声、人の感情によってつくられる、いわば” 形なき防災グッズ ” が入ったものです。
防災・災害の基礎知識はもちろん、被災地や被災者から学ぶ “ あの日 ” と“ あれから ” という時間経過により、はじめて見えてくる現地や当事者の経験と本音を少しでも理解すること。すなわち、災害に対する考え方や向き合い方など「意識(心)の準備」です。
自然災害は常に「想定外」
だからこそ、防災の常識は災害が発生するたびに更新され、変化することが大前提です。
そして、自然災害は一つとして同じ状況・条件・環境を作らず、その被害も同じではありません。
「防災」で大切なのは、防災グッズの準備や避難ルートの確認だけでなく、実際に被災されたり、支援活動をされた方たちの貴重な体験談に耳を傾け、現地の声から学ぶこと。心理的な部分にまで視野を広げ、理解を深めるということこそ、”もしも”の時や、命が助かったその後の生き方のヒントが隠されています。
日頃から、幅広い視点や立場から得た情報をもとに、防災についての考え方を学ぶ姿勢は、大切な命を守るだけでなく、災害現場で互いの立場・事情・考え・想いなどを想像し、理解し、歩み寄ることで、思いやりある行動へと繋がるはず。それは、不安や冷静さを失った被災地で、少しでも安心して安全な避難生活を送るためにも、実はとても大切なことなのです。
「透明なお守り」の存在はきっと、“ もしも ”の時はもちろん、災害後の人生も守ってくれるかもしれません。
このサイトでは、「形ある防災グッズ」から「形なき防災グッズ」まで、幅広く情報としてお届けしたいと思います。
必要なグッズは人それぞれ違います。
アナタにとって最も適した透明なお守りを日々携え、“ もしも ”に備えていただければと思います。
「知る」
防災・災害に関わらず、私たちは人生において、「知る」ということは非常に大切だと考えています。
個人的な興味や関心の度合い、得手不得手、嗜好などで判断するのではなく、「まず知る」ことが大事です。 このコラムでは、先に述べた通り、できる限りさまざまな視点・立場から知り得る「防災・災害・減災」に繋がる情報や考え方をご紹介したいと思います。
1.17 阪神淡路大震災
ここで改めて「あの日」を振り返ります。
「平成の未曾有の大災害」と言われた28年前のこと
知っている方は、少し思い出してみてください。
知らない方は、少し想像してみてください。
あの日、早朝に襲った大地震は、この後の日本の防災・災害意識を一変させる衝撃的なものでした。
- 神戸(関西)で大地震が発生すること
- 頑丈なコンクリートの建物が崩壊すること
- 周囲からの情報が一切断たれ孤立すること
- インフラが完全に麻痺すること
- 衣食住すべてを一瞬にして失うこと
- 6,000人以上もの命が一度に奪われる災害が発生すること
豊かで平和な国と言われる日本で、誰もが考えもしなかった「想定外」が次々に現実のものとなり、連日報道される目を疑いたくなる被災地の様子に世の中は騒然としました。
この大地震によって、全国各地の自治体でも災害対策の強化が急がれ、災害後の情報発信方法や救援の仕組み、復旧・復興にまつわるあらゆる検証と見直しも進みました。またこの惨事によって、”今の自分にできることを…” との強い思いが、多くの方を被災地の救助へと向かわせました。これがのちに「ボランティア元年」 と呼ばれ、以降の災害でボランティア活動が定着するきっかけになりました。
少しだけ想像してください。
あの時のこと・・・
- 倒壊した建物の下から助けを求める声がする場所では、その人たちを見捨てて逃げることができず、火の手が迫る火災現場でいつまでも立ち去れずにいる人の姿。
- 「早く火を消したってくれ!」という住民に、「水がないんや…」と呟くように答え、消火栓の側でホースを持ったまま消火活動ができない自分の無力さや苛立ちの中、立ち尽くす消防士の姿。
- 倒壊した家の下敷きになっている家族の声が聞こえず(生存確認ができず)、救助の優先順位があと回しになることを知らされ、納得がいかず泣き叫ぶ家族の姿。
- 情報が錯綜した避難所には、冷静さを失った大人たちの怒号が飛び交い、そうして必死に生きようと戦っている大人たちの姿を静かに見つめる子ども達の姿。
そして今・・・
- あの日、守ることができず失われた命を想い、大きな十字架を背負って日々を生きている人
- 「今、もし生きていたら…」と、失った我が子の未来の姿を常に誰かと重ね合わせてしまう人
- 人の親になることで、自分の命に代えて守ってくれた両親の深い愛情を知る当時の震災孤児
あの頃と令和の今とでは、様々なことが違います。
情報量はもちろん、その情報の発信方法、そしてあらゆる分野の技術も進み、人の生活様式も変化しました。
それでも、普遍的なものもあります。
その最たるものは「人の心」です。
突然襲った災害で、日常を奪われ、大切な人やモノを失い、当たり前の生活が破綻する。
そんな中、人の心はストレスを溜め込み、傷を負い、希望や生きる気力を失うことだって少なくありません。
どんな言葉や行動が、人の心に寄り添い支えることができるのか?
何が被災者を悩ませ苦しめるのか?
そして、今…当時の被災者の心には何があるのか?
たとえ28年経っても、長い時間の経過によってこそ見えてくるものがあり、私たちが学ぶことはきっと、まだまだたくさんあるはずです。
リアルな被災地の姿(メディア報道の是非)
実は現在、ある観点からみると、災害報道による被災地の情報は、以前に比べ、どんどん伝わりにくい状況へと変化しています。コンプライアンスを重視し、世間の反応を鑑みて自主規制する結果、自然災害の爪痕として広がる悲惨な被災地の風景や、受け入れ難い残酷な現実を前に、苛立ちや悲しみの感情を露わにしている被災者の姿は、あまり公開されなくなりました。
これは、プライバシーの保護、視聴者や読者など、受け手の精神的負担などを考えた必要な配慮です。
それはとても大事なことである一方、同時に、私たちはこれまでならば知り得たはずの情報の範囲を自ずと狭めてしまう結果にもなりました。
よく「昔のメディアは・・・」 と言われますが、「今、どこで、どんなことが起きているのか?」を少しでも広く社会に伝えることが仕事である報道の世界では、なるべくリアルに、ストレートに、現地に今ある姿をそのままの状態で世間に発信することこそが使命です。
しかし今・・・
「メディア報道で許される範囲を決めるのは世間の声(視聴者)」
これは、冒頭で紹介した大学のゲストスピーカーであるテレビ報道関係者の言葉です。社会があまりにも極端な意見によって報道の自由を奪うことは、真実を広く伝える手段を奪うことであり、これは、私たちが真実を知る機会を手放すことを意味しているのです。
自然災害において語るなら、「未来の防災に繋がる貴重な被災地の情報を知る機会」を自ら放棄することに値していると言い換えることができるのです。
災害や事故現場で危険を伴う場所や、センシティブなものを含む場面では、報道陣だけに足を踏み入れることが許され入れる時があります。悲惨な現地の様子を取材すること、被害にあった方たちに心境を尋ねることは、人道的にどこまで許される行為なのか?関係者たちは、毎回その判断に苦悩し躊躇しながらも責務を遂行しようとしています。撮られた映像や写真、インタビューの声などは、テレビ・ラジオ・新聞・ネットなど各メディア関係者が、それぞれの視点により丁寧に現場から拾い上げ、そして分かりやすく伝わりやすく編集した大切な「現地の現実」を示す素材。
それを世間に発信するか否か…
その判断基準の一旦は、実は私たち受け手に委ねられているということです。
さて、そんな中、2020年1月に朝日放送(ABCテレビ)では、自社で保有していた阪神淡路大震災時に撮影した膨大な映像データをアーカイブとしてwebサイトで一般公開に踏み切りました。
これは、一人でも多くの方に当時の被災した街並みや避難所暮らしの様子、被災者のリアルな声や表情を見てもらうことで、少しでも現実的に、自分事として、“ あの日 ”を感じてもらい、防災に繋げてもらいたいとの思い、そして風化させないことへの願いを込めて作られたものです。
朝日放送(ABCテレビ)アーカイブ
1995年に発生した大震災は、テレビが完全に一般普及した時代で、且つ、現代のように誰もが気軽に動画を撮影しSNS等で発信することがなかった時代・・・
テレビカメラが中心となって撮影した「最初で最後の大災害」
ここには、当時だから撮影を許された貴重な素材がたくさん公開されています。
悲しみ、不安、悔しさ、苛立ちなど、被災者はもちろん、救助者の声も多く含まれています。そして不便を強いられ、衛生面も整わない避難所暮らしの悲惨な様子もそこには映し出されています。
28年前に比べ現在は、あらゆることが進化しています。しかし、現在のさまざまな災害や避難についてを考えるための原点は、全てここにあると言っても過言ではないでしょう。
きっとこれらの記録は、アナタが持つお守り袋に入れるグッズのヒントもあるかもしれません。
エピローグ
昨秋、中学2年生を対象に防災・災害の講話をさせていただきました。
「災害を自分事として考えさせたい」という学校側からの要望を受け、3.11の震災を題材に語りましたが、東北の震災当時、彼らはまだ3歳・・・当然、震災の記憶などありません。
どのようにアプローチすれば、少しでも防災や災害、そして被災地の様子やそこで暮らす被災者のことを理解し、関心を持ってもらえるのだろう?…非常に難しい課題でした。
とにかく、これまで自身が東北被災地と交流を深める中で知り得たさまざまな情報をまとめ直し、彼らが少しでも想像しやすいよう資料を作成し、当日の講演に挑みました。岩手・宮城・福島…東北3県に幾度となく足を運び、約12年間かけて見てきた災害の爪痕が残る被災地の風景、被災者が聴かせてくれた本音、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じてきた「東北の被災地」の当時と今を写真や動画を使いながら語りました。
14歳の子どもたちは真剣な眼差しを向け、静かに話に耳を傾け、そして後日、たくさんの率直な感想を聞かせてくれたのですが、その言葉を受け止めながら、「ちゃんと伝わっている」ということを実感すると同時に、たとえ当事者でなくても、「知っている者が語り伝える」ということに、大きな意味や責任があることに気付かされました。
災害の記憶や記録は、決して風化させてはいけません。
被災者はいつだって風化していくことを懸念しています。
「忘れたくない」
「忘れられたくない」
けれど一方で「忘れたい」とも願っています。
あの日の恐怖や絶望 あの時の取り返しのつかない後悔や悲しみ
・・・思い出したくない記憶
故郷の懐かしい風景 大切な人の思い出
・・・守りたいもの、忘れたくないもの
帰りたい けれど帰れない
・・・故郷を追われた人たちは今もあの街には帰れない
時間とともに、記憶は少しずつ薄れていく現実
・・・一生手放したくない宝物が指の隙間からこぼれ落ちていく現実
被災者の方たちは、そんな複雑な感情を抱え、途方もない苦悩を幾つも背負いながら、それでも「自分たちが経験した悲しみは、もう二度と誰にもしてほしくない」と、誰よりも強く願い、まだ痛みが残る傷跡に触れながら私たちに災害への警鐘を鳴らし続けてくれています。
今、私たちにできることは、被災者の想いを無駄にせず、常に学び生かすこと。
そして、「災害」「防災」だけでなく、ぜひ「被災者の心」や「被災者の人生」「救助者の本音」「避難所の裏事情」など、視野を広げ、さまざまなことに関心を持ち、目を向けて欲しいと思います。
このコラムがそのきっかけになれたらという願いを込めて、これから毎月お届けします。
今は「次の災害前」
「その日」の前に、今、できることは?
あと2日で、1月17日
見える防災グッズの入った【防災袋】には、今のアナタに必要なものがきちんと入っていますか?
そして是非これからは、見えない防災グッズを詰め込む【透明なお守り袋】も準備して、アナタに必要な防災の知識やヒントを一つでも多く入れて「その日」に備えていただきたいと思います。
防災のあたらしいカタチ提案
見える防災グッズ vol.1
情報過多と言われる現代、けれど災害時はどの情報入手ツールが被害に遭うのかは誰にもわかりません。だからこそ、日頃から一つでも多くの情報源を確保することは非常に大事であり、その一つがラジオです。
昔から、防災グッズアイテムとして必ず挙げられるラジオ。
これだけ情報が溢れ入手方法も複数ある中、それでも何故今もラジオが選ばれるのか?
その理由の一つは、情報源を複数確保する為。
先にも述べた通り、非常時は何が起きるかわからない為、不足の事態に備え、複数の手段で情報を入手できる環境を整えることは非常に大切なことです。
そして二つ目として、様々な点においてラジオが防災アイテムとして優れているからです。
ここでその一部を改めてご紹介します。
機能に優れた防災メディア
- 長時間停電(大規模停電)が発生しても乾電池をはじめ、非常に少ない消費電力で長時間連続使用ができる
- 通信網が混乱しても無線なので情報が途切れることなく受信できる
- 持ち運びしやすい(携帯性)ほか、最近は手回し充電やソーラー、ライト、サイレンなど多機能にもなっている
信頼や期待に応えられるメディア
- 公共性の高いマスメディアなので情報の信憑性・信頼性が非常に高い
- 行政・警察・消防のほか、その地域のライフライン(電気・ガス・水道・交通各社など)とも連携され情報がまとめて入手できる
- 簡易システムで情報発信できるメディアなので災害に強く、また最新の情報発信に対応できるという即時性にも優れている
- 双方向型メディアの強みとして、リスナー発信の情報や現地の声も臨機に活かされる
- 広域情報から地域情報まで必要な情報を選局によって自由に選べる
情報だけでなく安心も発信できるメディア
- (普段からラジオ聴いている場合)聴き慣れた「いつもの声」を聴いて精神的安心を得られる
- 優しい言葉や心に寄り添う言葉を「人の声」で聴くことにより不安を和らげることができる
- 音楽や優しい語りが気持ちを落ち着かせ癒してくれる
そのほか、災害後の家の片付けなど復旧作業中、疲れたら身体を横にして目を閉じ休ませながら・・・など、他の作業同時に”ながら”で情報入手できることも大きなポイントです。
ラジオはパーソナリティとリスナーが日頃から密に繋がっている「双方型メディア」としてマスメディアの中では稀有な存在です。匿名性があり誰もが自由に発言できますが、人の心を傷つけたり、世間を混乱させる情報、フェイクニュースやデマなどは、局の判断でその発信を控えることができる、言わば「安全フィルター付きSNS」であり「元祖SNS」と言えるのではないでしょうか。
「災害時にはデマも含めてさまざまな情報が錯綜します。落ち着きを保つことが難しいさなかに、正しい情報を確実に伝えるラジオは有効です。また、人の心を穏やかにさせること、落ち着かせること。市民に冷静な判断を促し、導き、時には諭すことにも長けています。」
これは、東日本大震災を経験した東北のラジオ局に勤める知人の言葉ですが、災害時のラジオの役割について非常に分かりやすく示していると思います。
ラジオは、情報だけでなく安心や癒しを届けてくれる防災グッズなのです。
スマホでラジオを聴かないでください
今やスマホひとつで色んな情報が簡単に入手できますので、非常時にまず持ち出すべきものはスマホだと考える人も少なくないでしょう。
そしてラジオもまた、スマホで聴くことができる時代です。
けれど、災害時だけは、「ラジオでラジオを聴く」ことをおすすめします。
スマホは検索ができる、SNSも使えます。
だからこそ、スマホでしかできない使用時に備え、貴重なバッテリーは使わずにいることが大切です。
そして、ラジオはラジオで聴く。
今も昔も用意しておきたい大事な防災グッズの一つ、それがラジオなのです。
災害時は、ラジオを1日中つけていなければいけない状況になることもあります。
そんな時も消費電力がごく僅かであり、乾電池の交換や手回し充電で長時間の停電時も絶えず情報入手できるアイテムとして、ラジオを超えるものは、いまだにありません。
今回ご紹介した「マルチレトロラジオ」は、日頃から使える多機能型防災グッズです。
非常に小さなサイズで手軽に持ち出せる使い慣れた災害時用アイテムとしておすすめの一つです。
そうです・・・
防災グッズを選ぶ時は、「日頃から使える」ということも大切なポイントです。
『災害時=非常時=冷静さを失う=判断力・理解力が低下する』
そんな状況では、使い慣れていない災害グッズの中には、うまく活用できず役立たないということにも繋がりかねませんから、どうぞご注意を・・・