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防災コラム「透明なお守り」Vol.3 

プロローグ

「三寒四温」の言葉通り、温かさと寒さをちょっと極端なくらいに繰り返しながら過ぎ去った2月、そして3月も中旬となり、春の訪れを日々確実に捉えるようになってきました。

まず最初に春の足音を感じさせてくれる花と言えば「梅」

3月初旬、枚方市内の梅の名所の一つでもある意賀美神社に行くと、紅白の梅の花が見事に咲いていました。そして、まもなく訪れるのは桜の季節・・・

ところで、あなたは 【600℃の法則】 という言葉をご存知ですか?

2月1日から毎日の最高気温を足して600℃に達する頃、その地域の桜が開花するというものです。今年はなぜか、この言葉を何度も耳にする機会があり、せっかくなので枚方の最高気温を毎日足し算しながら過ごしてみました。

2月1日から本日15日までの合計は 593℃ となり、あと 7℃ で枚方の桜が開花!ということは、今日・明日にでも枚方市内のどこかで開花が始まっているのかもしれません。すでに東京でも昨日開花発表されまたし、いよいよ春到来ですね!

枚方の市の花でもあり、日本人の多くが愛でる 「桜」
・・・淡いピンクの花や桜吹雪をみて、あなたは何を思い出しますか?

さて、季節の移り変わる時期は、健康な身体を維持するのが難しく、体調を崩す方も多いと思います。あなたはしっかり身体をコントロールできていますか?
少しでも「あれ?気のせいかな?」と思ったら、それは気のせいではありません。念の為、休養をとり、胃に優しく栄養価の高いものを摂るなどしてください。決して無理をせず、いつもより少し身体を労り、身体が出すサインに耳を傾け、万が一に備えた行動をしてください。すると・・・きっと「気のせいだった」で終わることでしょう。

けれど実は、それは気のせいではなく、自らが「もしも」に備えて次の行動へ迅速に対応することができたからこそ、大事に至っていないだけなのです。

そうです。この「もしも」に備えた少し先取りした行動こそが、「もしも」の時に発生する大惨事を回避できるのです。

これは、言わずもがな災害への備えでも同じこと。

体調管理に対して「もしも対応」ができている人ほど、もしかしたら防災への「もしも対応」だって日頃からできているかもしれませんね。

ということで、今回もさまざまな視点から「防災・災害」についてお届けします。

“透明なお守り Vol.3” 最後までゆっくり、じっくり、お読みください。

透明なお守り

過去の災害を正しく知り、次の災害へ備えることで守られる命・生活・未来・・・

防災・減災には、2つの【袋】が必要です

1つ目は、災害避難グッズを詰め込んだ【防災袋】

2つ目は、防災・災害の知識や情報、考え方や向き合い方など「心の準備」を詰め込んだ【透明なお守り袋】

防災・災害に関する基礎知識はもちろん、過去の被災地や被災者から学ぶ “あの日” と 被災後から今日までの時間経過の中でこそ見えてくる現地や当事者の経験や心の声(本音)を少しでも理解することで、あなたの“もしも”の時の行動や未来もきっと変わっていくことでしょう。

災害は常に「想定外」

幅広い視点や立場から得られる情報や考え方を日頃から学ぶことは、大切な命を守るだけでなく、不安や冷静さを失った災害現場・被災地で、少しでも安全で安心な避難生活を送るためにも非常に重要なこと。

このコラムでは、「形ある防災グッズ」から「形なき防災グッズ」まで幅広く情報としてお届けします。必要なグッズは人それぞれ違います。

アナタにとって最適な“お守り”を準備し、“もしも”に備えていただければと思います。

3.11 あの日から12年後の景色

前回のラストで触れた通り、今回は【東日本大震災の今】をレポートしたいと思います。

しかし、ある程度覚悟はしていたものの、それをはるかに超えた想像以上の学びが多くあり、たくさんの刺激を受けてきましたので、伝えたいことは山ほどあります。

“3月のコラムだけでは間違いなく伝え切れない・・・。”

伝えたいことは、どれもとても大切なことで容易く割愛したくはありません。

そして、ここで発信する言葉は、東北の被災地から離れた場所で生活する方や、さまざまな事情で被災地へ足を運ぶことが出来ない方へこそ届けたいと常々考えています。

ですから悩んだ結果・・・これから数回に分けて少しずつお届けしたいと思います。

まず今月は、3月10日〜13日の4日間の東北3.11被災地を巡った大まかな足取りと、各地域・各施設について、非常に簡単な基本情報や紹介文を添えてお届けします。

このコラムを読みながら、少しずつ「東北」という地域を理解し、そして「あの日」現実に起きたこと、その時の被災者の心に触れながら、「被災地」を知り、触れていただければと思います。

きっとその方が、多くの人々の心に 「3.11」が刻まれ、「風化」させないことにも繋がるのではないかと考えます。

あれから12年・・・

この3年間はコロナ禍の影響で10年の大きな節目の年の慰霊祭などが各地で中止や縮小を余儀なくされ、その後も本来ならば本格的に観光地としてもPRをしつつ、経済的復興を加速させるべく全国から多くの方に足を運んでもらい、故郷を再び元気にさせるはずだったのに…現実は、風化がより加速する結果となりました。

今年は干支がひと回りし、十三回忌の法要の年でもあります。

そうして考えると、「あの日」からずいぶんと長い月日が流れましたが、今、東北の被災地はどんな状態なのでしょうか?

ここからは、東北で過ごした4日間の足取りを振り返りながら「大震災から12年後を迎えた被災地の景色」をお届けします。

防災とは、発災直後だけを想定するのではなく、【災害後の復旧・復興】という未来のことまでを考えることが大切です。「災害前」を生きる私たちが今、何を考え、何をすべきか?それぞれに考えていただければと思います。

また、コラムでは「東北の被災地」だけにとどまらず「東北の旅」の魅力も同時にご紹介します。(詳細は次月になりますが…)

一人でも多くの方が興味をもって、今後の旅先のひとつとして被災地を訪れていただければと思います。そしてそれらが、防災へのヒント、観光をするきっかけへと繋がることを願います。

3月10日(金)

大阪国際(伊丹)空港から仙台国際空港まで約1時間少々・・・。
東北は遠いイメージですが、実は東京と比べてもそんなに変わりません。

仙台空港といえば、震災の時はたくさんの機体が津波で流された映像が印象的でしたが、実はこの空港、仙台市ではなく、名取市と岩沼市の2市に跨る形で位置しています。

宮城県の空の玄関口には、牛タン・ずんだシェイク・海鮮丼・笹かまぼこ・萩の月など・・・宮城県の美味しいものも揃っています。

では、いよいよ「東北・被災地の旅」の足取りをお届けしましょう!!

■宮城県・石巻市■

仙台空港から車で約1時間、宮城県内では仙台に次ぐ第2の人口となる石巻は三陸海岸の南部に位置する街。震災では約4,000人の命が奪われ、国内最大の被災市町村となりました。

(1)門脇小学校

  • 2022年春にオープンした震災遺構。
  • 地震による津波だけでなく火災も発生したいわゆる「複合被害」を受けた小学校で、津波火災の痕跡を唯一残した施設でもあります。

(2)石巻南浜津波復興祈念公園

  • 震災前に約1,700世帯が生活していた場所。
  • 約38.8ヘクタールの公園内には、慰霊碑・追悼の広場・祈りの場など失われた命を弔う場所の他、震災を記録し未来へ繋ぐ直径40メートルの前面ガラス張りの円形施設「みやぎ東日本大震災津波伝承館」などもある。

(3)日和山・日和山公園

  • 津波でほぼ全てが流された地域・南浜を見下ろし、目の前には太平洋が広がる小高い山。
  • 日頃は市民の憩いの場として公園には四季折々の植物が楽しめる素敵な場所に、あの日周辺住民は命を守るため、ここを目指し必死で避難してきました。

このあと宮城県岩沼市に少し立ち寄り、そして宿泊先の気仙沼へ向かって初日は終わり。
岩沼や気仙沼については、このあと登場します。

3月11日(土)

いよいよ「あの日から12年」を迎える当日、今年は岩手県で過ごしました。
この日は「想う」1日となりました。

■岩手県・大槌町■

岩手県のやや南部で沿岸部には「さんてつ」の名称で有名な三陸鉄道リアス線が走っている町。震災当時は、町長をはじめ多くの町職員も犠牲となり行政機能が麻痺した場所です。

(4)風の電話

  • 私有地のイングリッシュガーデンを一般開放している「ベルガーディア鯨山」の一角にある、電話線が繋がっていない電話BOX。
  • 会えなくなった大切な人と静かに語る場所。

■岩手県・陸前高田市■

岩手県南部の沿岸部にある町は、岩手県大船渡市や宮城県気仙沼市とともに「三陸海岸」の北部地域の中核を担う場所。

(5)高田松原津波復興祈念公園

  • 東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)、道の駅高田松原、奇跡の一本松(震災遺構)、陸前高田ユースホステル(震災遺構)、タピック45/旧道の駅高田松原(震災遺構)、下宿定住促進住宅(震災遺構)、気仙中学校(震災遺構)、ベルトコンベア跡、旧道跡、高田松原運動公園、古川沼、防潮堤、高田松原・・・全てが一体化した約130ヘクタールにも及ぶ広大な祈念公園。

14時46分 この場所で黙祷をしました。

防潮堤の上、多くの人たちが献花台を中心に左右に広がり、海に向かって静かにその時を待ちます。アナウンスのあと、14時46分サイレンの音が辺り一帯に鳴り響く中、黙祷。数えきれない多くの人がいるにもかかわらず、聞こえてくるのは波の音、海風の音、そして・・・啜り泣き。

大切な人を失った方たちは、この12年をどんな思いでここまで過ごしてこられたのだろうか・・・今日、この瞬間をどんな気持ちで迎えているのだろうか・・・そんなことを考えると心がギュッとなり悲しみで溢れます。

「会いたい」そんな声や想いが共鳴しあう時間。そして、13年目が始まりました。

(6)漂流ポスト

  • 陸前高田の広田半島にひっそりとある森の中のポスト。
  • もう会えない人に宛てた手紙を受け取ってくれる場所です。

そして、夕食をとって宿泊先となる気仙沼へ戻って2日目も終了しました。

3月12日(日)

あの日から13年目の時を刻み始めた被災地の朝・・・

前日とは変わって空は曇天

■宮城県・気仙沼市■

宮城県北部の太平洋沿岸にある港町。フカヒレ・カジキマグロ・サンマなど海鮮のほか、気仙沼ホルモンなども有名な場所。全長60m・330t の大型漁船・第18共徳丸は港から750m離れた市街地まで運ばれました。(既に解体)

(7)気仙沼みなとでマルシェ

  • 2ヶ月に一度開催する海の近くの、みねしお横丁の朝市イベント。飲食や雑貨など、気仙沼らしいものがズラリと集まり、朝からたくさんの笑顔が溢れていました。

(8)海の市

気仙沼市魚市場に隣接した三陸の海の幸が集まる観光物産施設。飲食店や土産屋のほか、日本で唯一のサメのミュージアム「気仙沼シャークミュージアム」やマイナス20度の世界で魚を楽しむ「氷の水族館」・「気仙沼市観光サービスセンター」など、気仙沼のことがたくさん学べる充実した施設。

■宮城県・南三陸町■

宮城県北部・三陸海岸の南部に位置し「西の明石・東の志津」といわれるほど、タコの産地としても有名な町。

(9)南三陸東日本大震災伝承館

「南三陸311メモリアル」「道の駅 さんさん南三陸」「南三陸さんさん商店街」、そして東日本大震災の被災映像でたびたび報道されていた”南三陸防災合同庁舎”が震災遺構として残る「南三陸町震災復興祈念公園」がある場所。

この日は、再び石巻にも足を伸ばしました。

(10)大川小学校

学校の裏山に避難することなく地震発生の51分後に津波が押し寄せ、児童・教職員84名の命が奪われた場所。児童78名のうち、70名が犠牲・4名行方不明となり、戦後最大の犠牲者が出た小学校となりました。

■宮城県・女川町■

宮城県のやや北部、三陸の南部に位置し石巻市に囲まれている町。三陸でとれる海鮮の中でも、サンマは全国でトップ3に入る名産地。

(11)旧女川交番

海のすぐ近くにあった2階建て鉄筋コンクリートの交番は、津波の引き波によって基礎部分の杭から引き抜かれて横倒しに…現在は震災遺構として保存。

南三陸から石巻・女川へ南下しながら過ごした1日・・・そして、再び北上し気仙沼へ戻り3日目終了!

3月13日(月)

いよいよ4日目・・・。

夕方の帰阪に向けて朝からまずは宮城県南部へ一気に移動!

■宮城県・山元町■

宮城県南部の沿岸部に位置し、畑や果樹園が多く水田も広がり、さらには漁業も盛んな町。いちご農園は津波で約9割が被害に遭いました。

(12)山元いちご農園

いちご狩り、バームクーヘン体験、ワイナリー見学や、いちごカレー・いちごピザなど、ちょと珍しいいちごメニューも楽しめるカフェなどがある場所。

そして、ラストは空港の近く、初日に訪れた岩沼市を再度訪問!

■宮城県・岩沼市■

津波で沿岸部は大きな被害を受けましたが、その後「千年希望の丘」や「玉浦西地区集団移転」など、「復興モデル」として注目されるほど新たな街づくりが積極的に進んだ地域。

(13)金蛇水神社

白蛇が祀られた珍しい神社で震災以降には、外苑にSando Terraceという参道・庭園・広場・山・神社を結ぶ参拝者の休憩所・土産処・食事処・カフェテラスが一旦となった施設が併設。

(14)ニシキヤキッチン

岩沼の仙台空港からほど近い工業団地に本社を置く老舗のレトルト食品メーカーのショップ。

津波で工場は甚大な浸水被害を受けたものの懸命の復旧作業で震災から45日後に工業団地の中で最も早い再開を果たした会社で、ショップには驚くほど多くの種類のカレーが並びイートインもOK!

ということで、4日目も時間ギリギリまであちこちを訪問し、そして夕方には仙台空港にて最後のお土産タイムもバッチリ楽しんでから大阪に戻りました。

エピローグ

いかがでしたか?

今回の被災地の旅でも、各地で本当にたくさんの笑顔をもらう素敵な時間を過ごせました。
大きな災害というのは、復旧・復興に本当に長い時間を要します。
 12年が経ち「ようやくココまできた」
 12年が経っても「まだココで立ち止まったまま」 
街の復興、心の復興、その進捗はさまざまで、それらに対する考え方・捉え方・受け止め方もさまざまであり、それが「12年を迎えた今の被災地の景色」です。

この復興への温度差は、これから月日が流れ年を重ねるにつれ、これからもどんどん大きくなっていくことでしょう。
なかなか被災地へ行くことができない人も多いと思いますが、このコラムを通して少しでも現地の様子や変化を知っていただければと思います。

ひとつ理解して頂きたいことは、東北・被災地は、決して悲しい・辛いだけの場所ではありません。
四季それぞれに美味しいものがあり、素敵な風景や伝統文化など楽しめるものもたくさんあります。震災直後、一度は「もう二度と海の恵みなんて言葉は言えないかもしれない…」と語った被災者が、数ヶ月ごに「やっぱり海と共に生きていくんだと思う」と言葉にしました。

次号からは、「被災地」と呼ばれる地域にある魅力にも触れながら、今回訪れた各所についてさらに詳しくご紹介いたします。

是非、楽しみながらコラムを読み進めていただければと思います。

一方で、一瞬で奪われたものを取り戻すのには、気の遠くなるほど長く時間が必要で、積み重ねてきたもの、繋ぎ続けてきたものを、ゼロから再スタートするために必要な勇気や気力がどんなものであるかも、同時に想像しながら理解を深めて欲しいとも願います。

そうすればきっと、あなたの透明なお守りに、また一つ大切なものが増えるのではないでしょうか。

それではまた・・・。

見える防災グッズ Vol.3 防災食

防災グッズ・・・

といって、真っ先に思い出すのが、ラジオ・懐中電灯・防災食(水を含む)という方は多いのではありませんか?

どんなに非常事態であっても、人は“生き物”だから栄養を摂らなければいけません。せっかく災害から命を守ることができたとしても、満足に食事ができなければ、やがて生きる力を失って再び命の危険が迫ります。

前回ご紹介した「排泄」は、忘れがちな防災グッズの一つとしてご紹介しましたが、今回は誰もが必要だと認識している「防災食」について、改めて取り上げたいと思います。

防災食は、「非常食」・「災害食」などとも呼ばれる【長期保存食】です。

一般の同じ種類の食品と比べ、数ヶ月〜数年という長期間にわたり備蓄できるよう処理された食品で、栄養バランスに考慮し、また調理不要であったり、水やお湯だけで手軽に食べられるものも多くあります。

また、最近では、いかに美味しく食べられるかという味への追求はもちろん、アレルゲンフリー、ビィーガン、ハラルなど消費者に合わせた食材で調理されたもの、そして、高齢者や要介護者の方でも美味しく栄養が摂れるよう、柔らかく咀嚼不要なものなど、驚くほど幅広いメニューが揃っています。

(ここに掲載されている防災食はすべてビオルネ3階KURAWANKAにて販売している商品です)

■ 心を助ける食の力 ■

確かに、非常事態において、食に対するワガママは言っていられないかもしれません。けれど・・・「たかが食事、されど食事」です。

災害時、人は突然日常生活を奪われ、気が動転し、想定外の環境に身をおくことで、不安も不満も日に日に増していくことでしょう。そんな時、「食」というものは、単に栄養確保だけの目的にとどまらず、心に安心やひとときの安らぎを提供してくれる大切な存在となるのです。

日頃の生活でも、美味しいものを食べると幸せを感じる方は多いのではありませんか?実家の味付けにホッとしたり、温かい食事が気持ちを落ち着かせてくれたり・・・。

食事は、栄養補給という最大の使命とともに、私たちの心も守ってくれる大切な存在です。特に、長引く避難暮らしでは、防災食の存在は非常に重要です。

ということで、改めて「防災食」について、色んな視点からご紹介したいと思います。

■ 防災食選びのポイント ■

過去に重要視されていた防災食とは、「カロリー、腹持ち、賞味期限」 でしたが、12年前の3.11震災では、非常に多くの被災者が数ヶ月にわたる避難暮らしを強いられました。そんな中で見直され、新たに食にかんする注意点として挙げられているのは、「栄養不足、ストレス、衛生」です。

もちろん、お腹をしっかり満たしてくれるカロリーの高い食事は、体力低下が心配される被災者にとって大事であることに変わりはありません。

けれど、栄養不足や運動不足になりがちな被災者は、身体が疲れやすくなる傾向にあり、あまり動かない状態が続けば、身体機能も低下します。そんな悪循環によりますます災害時は、体調を崩しやすくなり、深刻な病気を引き起こすきっかけにもなるのです。

また、慣れない環境が続けば精神的ストレスも大きくなり、これも体調を左右する原因となるのは間違いありません。

そして、何でも食べられたら良いわけではもちろんなく、衛生面にも気をつけなければ、感染病をはじめとする様々な体調不良を引き起こす原因にもなります。

さて、こうして考えていくと、「防災食」についても、正しい知識をしっかり持っていなければ、命に関わる重要なことだということが、改めて理解できたのではないでしょうか?

では、それらを前提にして、一体どのように防災食を準備すれば良いのか?

そのポイントを早速ご紹介しましょう!

(1)おいしいもの!

災害時という非常事態の場面で味にこだわるなんて…と思いがちですが、「非常時だからこそ、美味しく食べる」ということは重要なことです。
突然、日常生活が破綻し、避難所暮らしなど慣れない日々を過ごしていると、不安やストレスから食欲も起きなくなるかもしれません。それでも生きていくためには食事は必要。

そんな時、少しだけでもと口に運ぶその食べ物が、美味しければ、あと一口、もう一口・・・と少しでも食が進むかもしれません。主食ではなくても構いません。例えば、甘いお菓子が食べたければ、まずは栄養バランスは気にせず食べましょう!心が少し落ち着くかもしれません。

いくら精神的には食欲が無いと感じていても、身体は当然、生きていくためのエネルギーを欲しています。少しもで食べ慣れた味であったり、自分好みのものであれば、少しでも食べることができるかもしれません。

(2)手間いらず!

平常時のように冷蔵庫から食材を選び、台所に立って、清潔に調理できるわけではない環境、それが「非常時の食卓」です。
開封するだけですぐに食べられるもの、水やお湯を入れるだけで調理が完成するものなど、なるべく手をかけずに栄養補給できる食事の準備はとても大切です。


また、突然の災害という緊急事態の中、そもそも食事の用意をする気分にもならないでしょう。子どもでも、高齢者でも、やや身体が自由でなくても、なるべく多くの人が、誰も簡単に食事が摂れる。これはとても大切なポイントです。

(3)栄養バランス!

避難暮らしが長期化する時、特に気をつけたいのが栄養バランス。先にも述べた通り、ただお腹を満たすだけでは、当然偏った栄養の摂り方になり、それは病気の第一歩へと繋がります。

被災地には、おにぎり・パン・カップ麺など炭水化物に偏りがちで生鮮食品が届かなくなるため、タンパク質・ビタミン・ミネラル・食物繊維の不足が目立つと言われています。

これらが引き起こす体調不良の初期症状は、体力低下・頭痛・めまい・不眠・肌荒れ、そしてさらに長引くことで、大きな病気に繋がります。

非常時、健康な身体を維持することは、想像以上に難しいことです。簡単に食料が手に入らないからこそ、防災食の準備には、栄養バランスを意識することが非常に重要です。カロリーだけを考えていると危険!けれど・・・やっぱりエネルギー源となる炭水化物や脂質も十分摂ることも大事です。

何事も「バランス」が何より大切!

(4)水分も立派な食事です!

「食べる」ことばかりに気を取られ、忘れがちな「水分補給」

また、前号のトイレのご紹介の際にもお伝えしましたが、トイレの回数を少しでも減らしたいばかりに、意図的に水分を積極的に取らないというケースもよく見られますが、当然、これも健康維持の観点からいくと大きな間違い。

水分が足りなければ、暑い季節には熱中症・脱水症になることはある程度想像できるでしょう。けれど、寒い季節ならば大丈夫!では決してありません。便秘になれば本来排泄されるべき有害物質をいつまでも体内に抱えることになります。また、血液がドロドロになって血栓が体内を周り、エコノミー症候群となって、心筋梗塞や脳卒中など、

深刻で命の危険に直結する恐ろしい病気になるリスクも高まります。

(5) 正しいローリングストックとは?

防災食の保存方法として、最近ではすっかり耳馴染みとなっている「ローリングストック」
賞味期限が切れる前に、定期的に日頃の食事で消化して、新たな食料を買い込むわけですが・・・「いつも食べ慣れているカップラーメンやお菓子でもOK!」とは言いますが、これはこまめに管理ができる人だけの方法です。

一般的な即席食品・レトルト食品・お菓子などの多くの賞味期限は、数ヶ月程度から1年程度。
ということは、それぞれの賞味期限を把握して、数ヶ月毎にしっかりチェックし、必要ならば消費して、そして新たに購入する…を繰り返さなければいけないわけです。

実は、これは結構ハードルが高い技。

一方、防災食・備蓄食・災害食などの名前で販売されているものは、短くても1年以上、平均3〜5年程度、長いものでは、7年・8年・10年という商品も多くなってきました。

たしかに、「短い周期でこまめに管理する」という方が、年間のうち何度も「災害を意識する」ので本来は理想的。けれど反面、その短期的なチェックが、いつしか面倒になって出来ないのならば意味がありません。

自分の性格、自分の生活スタイルにあった周期で、確実に管理できるのが、正しいローリングストックです!消費期限をしっかり考えて、防災食は選びましょう!

■ 安心の勘違い?! ■

ここまでご紹介したポイントを意識しながら準備した防災食ですが・・・まだまだ安心しないでください!最後に多くの方が陥りやすい「落とし穴」を2つご紹介しましょう。

(1)一度、食べてみる

特に、乳幼児や高齢者、アレルギーのある方などは、是非、準備した防災食を一度事前に食べてください。味付けや食物の硬さ、使用されている食材によって、いざと言うとき、食事が出来ない危険があります。生き延びるため、しっかり栄養をとって欲しいのに不慣れな味付けの食事を受け付けず、幼児は“イヤイヤ”と言って食べてくれないかもしれません。

歯が弱っていたり、入れ歯を避難時に持ち出しそびれた高齢者は、食事をしたくても満足に食べることが出来ない事態に陥る危険だってあります。

また、食事というのは、誰もが安全に食べられるものとは限りません。

食物アレルギーのある人にとって、命を守るための食事という行為が、命を落とすことになるかもしれません。

「食べない」、「食べられない」 ということは、ただ単にお腹を空かせるだけでは済まされません。1日、2日ならともかく、長期の避難暮らしとなれば、そのうち当然栄養不足に陥り、そして、生命維持にもつながる恐れもあるのです。

安全に食事をすることを軽んじることなく考えてください。

本来、食事とは・・・「美味しい」と思って食べるご飯は、平常時でも幸せな気分になったり、笑顔になったり、人の心をリラックさせるものです。緊張感が続く災害時だからこそ、ほんのひととき、心がほっとできる時間を食事で確保したいものですね。

(2)保管方法、大丈夫?

これは防災食だけでなく、防災グッズ全般に共通することなのですが・・・「買って安心」 になる落とし穴。

あなたは防災グッズや防災食をどこで保管していますか?
正しい環境で、すぐに取り出せるようにしていますか?

■ 最近の防災食 ■

災害が絶えず続く日本では、防災食についてもドンドン新たな商品が開発されています。

最後にいくつかご紹介しましょう。

(1)携帯おにぎり

水やお湯を入れるだけで、にぎらず出来る“おにぎり” 順番に沿ってフィルムを剥がせば手も汚れず衛生的に食べることもできます!

(2)一汁ご膳

白飯と豚汁(又は、けんちん汁) として食べるもよし!水やお湯がなければ豚汁(又はけんちん汁)をかければ、炊き込みご飯に返信!その他、おかずがあれば、より栄養バランスもよくお腹いっぱいになることもできるのでオススメの一品。

https://www.onisifoods.co.jp/products/

尾西食品株式会社 商品紹介サイト

(3)たべっ子どうぶつ

缶入りのお菓子などは、食べたあとの容器を食器などに転用もできて便利!蓋つきなどで開封後の保存も湿気などからある程度守れる!

ブルボン製品など、商品によっては缶の切り口もきちんと処理されているから手が切れる危険も無し!

「防災」は、「もしも」という言葉がいつでも付きまといます。
たしかに、「もしも」はなかなかやってきません。
だから、「もしも」を意識することは、とても大切なことなんです。

何となく、周囲が勧めるから、人気商品だと聞いたから、そんな理由ではなく、
どんな状況で食べるものなのか?
誰が食べるものなのか?
色んな状況を想定しながら、アナタにあった「食選び」を是非してくださいね!

因みに・・・長期保存できるから、ちょっとだけ防災食はお高めです。けれど、賞味期限が切れるまでのローリングストックを、一般保存食と比べると・・・長期的に考えれば、やっぱり納得、お得であることは明確ですね!

「ビオルネ防災キャンプ・ミニ」3月25日(土)開催決定!


昨年からスタートした枚方ビオルネ発の体験型防災イベント「防災キャンプ」のテーマはズバリ!

「知識を体験し経験にアップデート!」

防災グッズは、「日頃から使える」ということも大切なポイントです。
「災害時 = 非常時 = パニック状態 = 冷静な判断が難しい」
そんな状況では、日頃使っていない災害グッズを上手に使いこなせないかもしれません。せっかく準備した防災グッズを「役立つグッズ」にするためにも、どうぞお試しください。

今回は、食の体験会を新たに設け【防災食堂】をOPEN!

“もしも”に備え、どんな味?水で作ったらどんな感じ?食べる時に何か不自由はしないかな?・・・など、事前に「お試し」することで見えてくる本番に向けての準備をイベント会場で一緒にしませんか?

筆者プロフィール

日経新聞まちかど人間録

筆者 プロフィール

石元 彩

西宮市の短大卒業時に阪神淡路大震災を経験し学生生活を突然打ち切られたまま社会人となる。

その後、1.17の震災を機に誕生したラジオ局「FMひらかた」に開局から閉局まで25年間携わり、後半11年間は東日本大震災の復興支援や情報を毎週発信するほか、常に社会に埋もれそうな小さな声やマイノリティの存在にスポットを当て、心に寄り添う言葉にこだわり番組を制作。ギャラクシー賞選奨2作品、奨励賞1作品受賞。


このコラムでは、これまで得た経験・知識・人脈、マスメディアの世界だからこそ触れられたもの全てを活かしながら、防災や災害、被災地の現状や被災者の声、さらには、その先に繋がる”生きるヒント”にもなり得るものを”見えないお守り”と称してさまざまな視点からお伝えできればと思います。

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